最高裁判所大法廷 昭和29年(あ)3729号 判決 1960年7月20日
主文
原判決を破棄する。
被告人らを免訴する。
理由
被告人ら四名に対する本件公訴事実は、被告人らは共謀のうえ、昭和二六年五月一日午前一一時二〇分頃静岡市公安委員会の許可を受けないで、同市追手町静岡コート入口前から市役所前までの間の道路を多数の者と共に示威行進したというのである。すなわち、右被告人らの所為は昭和二三年一二月二一日静岡県条例第七四号、示威運動取締に関する条例二条に違反するものとして同六条の罰則の適用を求められたものである。
そして同条例二条は、「示威運動にして道路を徒歩又は車馬をもって行進又は占有しようとするものは所轄の市町村の公安委員会の許可を得なければこれを行うことはできない」と規定し本件のごとき示威行進を行うにはあらかじめ静岡市公安委員会の許可を受けることを必要としているのである。
しかし、昭和二九年七月一日、警察法(同年法律第一六二号)の施行によって、市町村の自治体警察及び公安委員会は廃止せられ、前記静岡県条例二条において本件示威行進に関して許可を所管事項とする静岡市公安委員会も、右警察法の施行に伴って廃止せられたのであって、今日においては、同条例において本件のごとき示威行進に関して許可を管掌する行政庁は存在しないこととなったのである。(もっとも、前示警察法は同七九条で同法実施のため必要な事項を政令に委任し、これにもとづき昭和二九年六月一九日政令一五一号警察法施行令が公布され同令附則一九項には、かような警察機構の改変に伴う警察の事務に関する市町村条例の経過措置が規定されたけれども、右の経過規定は、従前、市町村条例によって自治体警察の機関又は職員の事務とされていた事項に関する経過規定であって、本件の場合のごとく、県条例によって市町村公安委員会の事務とされていた事項に関しては適用のないものである。また当裁判所が職権によって調査するところによれば静岡県において、その後同条例の運用に関し、条例をもって、右示威運動の許可機関として市公安委員会に代る機関を制定した事実のないこともあきらかである。)
とすれば、右静岡県条例は、少くとも同二条に関するかぎり、すでに、死文化したものというの外なく、従って同条の違反を処罰する同六条の罰則も今日においてはその適用の余地はなく効力を失ったものといわなければならない。すなわち本件公訴にかかる犯罪事実については、刑訴三三七条二号にいわゆる「刑が廃止された」一場合に該当するものと解すべきであり、被告人らに対しては同条を適用して免訴の言渡を為すべきものである。
よって検察官の上告趣意につき判断を与えるまでもなく刑訴四一一条五号、四一三条但書により原判決を破棄し被告人らを免訴すべきものとし、主文のとおり判決する。
右は裁判官田中耕太郎、同斎藤悠輔、同池田克、同下飯坂潤夫、同高橋潔、同石坂修一の反対意見を除く外全裁判官一致の意見によるものである。
裁判官斎藤悠輔の反対意見は、次のとおりである。
刑訴四一一条五号にいわゆる「判決があった後に刑の廃止があったこと。」とあるのは、刑訴三三七条二号にいわゆる「犯罪後の法令により刑が廃止されたとき。」と同義であって、上告審においては、犯罪後ことに原判決があった後の法令により明示又は少くとも黙示をもって、既に発生、成立した刑罰権を特に放棄したときを指すものである。すなわち、例えば国家が犯罪後大赦令によって特に明示的に既に発生、成立したある種の刑罰権を消滅又は廃止した場合、もしくは、立法者が犯罪行為の後ある刑罰権を発生せしめる原因となった法規を将来に向って廃止又は消滅せしめ、その廃止又は消滅の理由が立法者の側における法的観念、刑法的価値判断に変更を生じ従前認められていた刑罰法上の可罰性を認むべきでないとするような理由によるものであって、従って、既に発生、成立した刑罰権をも同時に暗黙に放棄したと認むべき場合のごときを指すものである(その詳細は、判例集七巻七号一五八〇頁、一五八一頁参照)。
しかるに、本件では、昭和二九年七月一日警察法の施行によって市町村の自治体警察及び公安委員会は廃止され、本条例二条において本件示威行進に関して許可を所管する静岡市公安委員会も廃止され、これに代るべき機関の制定もなく、今日では本件示威行進に関して許可を管掌する行政庁は存在しなくなったというだけであって、本条例二条(示威運動にして道路を徒歩又は車馬をもって行進又は占有しようとするものは、所轄の市町村の公安委員会の許可を得なければこれを行うことはできない)は、もちろん、同条例六条(第二条の規定に違反し公安委員会の許可なくして示威運動を行ったもの、第四条の規定する許可申請書に虚偽の事項を記載し又は第五条の規定により公安委員会の定める条件に従わないものは、六箇月以下の懲役若しくは禁錮又は三万円以下の罰金に処する。)も廃止されたのではないというのである。すなわち、静岡県会が廃止された静岡市公安委員会に代るべき機関を指定しさえすれば、本条例はそのまま完全に適用される状態にあるというのである。従って、本条例二条に従って許可を得ようとして申請をしたが、市町村の公安委員会がないために許可を得られなかったような場合は、同条例六条の適用ありや否は問題ではあるが、本件のように初めから許可申請をする意思もなく、許可申請もせず、従って、許可なくして示威運動をしたような場合においては、現在でも処罰の対象にならないと即断することはできない。されば、本件刑罰権を発生、成立せしめた原因となった法規並びにその可罰性は、現在においても依然として存在しているといわざるを得ない。それ故、多数説の免訴説は、既にその前提において失当であるといわなければならない。
のみならず、そもそも、本件のごときいわゆる公安条例は、その時代における社会状勢に応じて必要とされるいわゆる限時法に属するものと解するのが相当である。従って、仮りに、本条例が廃止され又は将来廃止されることがあるとしても、既に発生、成立した刑罰権を暗黙に放棄したと見るべきでない。この点からも多数説は法の本質を弁えないものといえよう。
因に、本条例が憲法二一条に違反しないことは、昭和三五年(あ)一一二号事件、昭和二八年(あ)四八四一号事件の多数意見において示したとおりである。
裁判官田中耕太郎、同池田克、同下飯坂潤夫、同高橋潔は斎藤裁判官の意見に同調する。
裁判官石坂修一の反対意見は次の通りである。
斎藤裁判官の反対意見中、本条例が違憲であるか否か、本条例二条にしたがって、所論の如き示威運動に対する許可を申請したが、市町村の公安委員会がないためその許可を得られなかった場合に、同条例六条の適用があるか否かの問題及び本条例は所謂限時法に属するか否かの問題に対しては、意見を示すことをしばらく留保し、その余の点については、同反対意見に賛同する。
(裁判長裁判官 田中耕太郎 裁判官 小谷勝重 裁判官 島 保 裁判官 斎藤悠輔 裁判官 藤田八郎 裁判官 河村又介 裁判官 入江俊郎 裁判官 池田 克 裁判官 垂水克己 裁判官 河村大助 裁判官 下飯坂潤夫 裁判官 奥野健一 裁判官 高橋 潔 裁判官 高木常七 裁判官 石坂修一)